映画:わが母の記(前半)

【わが母の記】は文化勲章受章者の日本を代表する小説家、井上靖が68歳の時に出版した自伝的な小説を元に作られた小説がベースとなって作られた映画です。原作は1964年(昭和39年)『花の下』1969年(昭和44年)『月の光』1974年(昭和49年)『雪の面』の三部作となっていて、井上靖の母親「八重」の80歳から亡くなった89歳までについて書かれた本です。現在は、講談社文庫から『わが母の記ー花の下・月の光・雪の面ー」という題名で発行されています。

映画の【わが母の記】実力派が揃った豪華な配役にもなっています。そして、たくさんの日本だけではなく海外での賞も受賞しました。そして映画のメガホンを撮った監督は、『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督です。

井上靖と同じ高校出身(静岡県立沼津東高等学校)ということで、原田監督は年齢を重ねるにつれて原田監督自身の故郷について、そして同じ高校の先輩でもある井上靖に惹かれるようになったと語っています。そして井上家の全面的協力を得て、実際に井上靖邸での撮影されています。2011年(平成23年)5月に取り壊しとなった井上邸ですが、取り壊しになる前に撮影が完了するようにスケジュールを組んだとも。東京・世田谷にあった井上邸ですが、撮影が終了してから北海道の旭川(井上靖が生まれた所)の井上靖記念館へと書斎と応接間が移転されて一般公開されています。

実際に井上靖が使っていた井上靖邸での撮影の他にも、井上靖のゆかりの場所でもある伊豆などオールロケで撮影されています。

原田監督は、50代になって井上靖「わが母の記」を読んだと言っています。「わが母の記」は愛し続けることの素晴らしさ、そして生きることの喜びを井上靖が綴っています。原田監督は映画化するにあたって、小津安二郎監督(小津調とも言われる独自の映像美)やベルイマン監督(スウェーデンを代表する映画監督)が描く【家族愛】のように、何十年の時が経っても愛される映画を撮りたいと、この作品が出来上がるまでに十年以上も温めていた作品でもあります。キャッチコピーは『たとえ忘れてしまっても、きっと愛だけが残る】です。

「わが母の記」あらすじ その1

登場人物(昭和34年)

  • 主人公/井上洪作(伊上家長男)・・・役所宏司
  • 父親/隼人・・・三國連太郎
  • 母親/八重・・・樹木希林
  • 伊上家の長女・・・キムラ緑子
  • 伊上家の次女/桑子・・・南果歩

伊豆の湯ヶ島で、伊上家の父親隼人の容態が思わしくないという知らせを聞いて、念のために喪服を準備して家族が顔を揃えています。病院長に就任する話も断って、働き盛りというのにも関わらず伊豆の山奥にこもっての畑仕事に勤しんだ父親。そんな父親は、自分自身の葬式代だけではなく、妻でもあり子供たちにとっては母親でもある八重の葬式代まで用意周到に準備していました。

主人公の洪作は、家族が顔を揃えた場所で何気なくタバコの箱をポンポンとしています。そんな何気ないしぐさは親父のクセでもあります。そして好物の蕎麦掻(そばがき)も同じです。

父親の容態も回復したこともあって、洪作は一旦東京へ戻ることにします。そして父親隼人に顔を見せるのでした。口を開けたままの父親が、そっと手を出して息子の手を握ると、今度は息子の手を突き放すようにして、今度は握った息子の手を解きます。一体どうしてなのでしょうか・・・。母親の八重は、何も気にすることはなく、水場でわさび(山葵)を洗っています。

洪作は伊豆の家を後にして、そのままバス停まで歩いていこうとすると、今度は母親の八重が後ろからついいてきます。そして、同じ言葉を繰り返します。本家に挨拶して、「お父さんたらね、死亡通知をくどくど書くなって」と何度も繰り返すにでした。まさにその時が、洪作が母親の異変に気付いた最初のことでしたついさっきまで、父親の病床で言ったばかりの言葉を、母親はまったく覚えていないのでした。

登場人物(昭和34年)

  • 井上洪作・・・役所宏司
  • 洪作の妻/美津・・・赤間麻里子
  • 洪作の長女/郁子・・・ミムラ
  • 洪作の次女/紀子・・・菊池亜希子
  • 洪作の三女/琴子・・・宮﨑あおい
  • 洪作の秘書/珠代・・・ 伊藤久美子
  • 編集者/瀬川・・・三浦貴大
  • 女給・・・ 大久保佳代子

東京は世田谷の自宅へ木塀に囲まれた路地を歩きながら、井上洪作は戻ってきます。自宅ではその頃、妻の美津と長女の郁子たちが、洪作が執筆した新作の小説に検印を押す作業をするために、一家総出手で大忙しです。家族を始めとして秘書や女優・そして弟子たちもテキパキと働いています。そこへ編集者の瀬川が顔を出します。

多忙を極めているため、その日の食事は出前を頼みます。洪作が頼んだものは父親隼人譲りの蕎麦掻です。忙しいので出前の食事を食べ終えると、次々に仕事へ戻るために食卓から席を立ちます。そんな忙しい中に、三女の琴子の姿が見えません。洪作は「天丼を頼んでおいてどういうことなんだ!」と苛立ちを見せるのでした。

ベストセラー作家の洪作が執筆した作品の検品は、家族が総出で行う大事な検品作業ですが、反抗期の女学生琴子は、自室にこもっていてカタツムリの撮影です。琴子は写真部に所属していてカタツムリの撮影にかかりっきりでした。夜遅くになって、ようやく食卓に下りてきて、琴子は天丼を食べるのでした。

そして、夜も深くなってきた頃に、持ち直したかのように思われた父親隼人の訃報が洪作の家へと入るのでした。

洪作が父親の訃報を聞いて考えるのは、やはり最後に父親の手を握り、突き放された父親の手のことでした。

伊豆の山道を隼人の葬列は続きます。そして葬列の最後尾には洪作の娘たち三姉妹がいます。次女の紀子は体が弱いこともあってバテていたのです。その葬列へ自称「カタツムリの瀬川」の瀬川が応援へやってきます。こうして、親戚が一同が介して父親隼人を見送った山の墓地で、母の八重は1人ポツンと木陰に座って、風が鳴らすいろいろな音色を聞いていたのでした。

登場人物(昭和35年)

  • 井上洪作・・・役所宏司
  • 母親/八重・・・樹木希林
  • 伊上家の次女/桑子・・・南果歩
  • 洪作の長女/郁子・・・ミムラ
  • 洪作の次女/紀子・・・菊池亜希子
  • 洪作の三女/琴子・・・宮﨑あおい

蝉がよくなる晩夏の日に、洪作の娘たち三姉妹はトランプをしていました。トランプで遊びながら八重の昔の恋人話を面白がって話をしています。八重が「いつあなたたちに彼の話をしたのかしら・・」と八重の物忘れは去年よりずいぶん進んでいるようです。

父親隼人が亡くなった後は、八重の面倒を見ているのは洪作の妹桑子ですが、桑子が八重の面倒を見るのが大変だということをぶつぶつ言っていますが、洪作はまともに桑子の話を聞いていません。よく見受けられる家族の姿がそこには描かれていました。

母親の八重は、洪作に話したいことがあるということで東京の洪作の元へと上京していました。洪作は「何でもない。そうふとした瞬間に、自分自身の中に父親がいることを感じるようになりました」そして、壁でもあった親父という存在が亡くなったことで、死ぬということへの風通しも良くなっていますが、その風通しの道筋の半分は母親八重によってさえぎられてしまいます。

両方の屏風が取り去られてしまった時に、ふいに目の前に死というものが落ちてくる。まだ考えもしないことがらが、徒然なるままに綴られていく。そしてその内容はすとんと心に落ちてきます。

執筆中の洪作の所に夜分に、ボケた母親の八重が書斎にやって来てとうとうと、昔話をするのですが洪作との会話の内容は、すれ違ってばかりです。

「湯ヶ島に預けたのは一生の不覚だった」と語り出すのですが、「一年後に迎えに行った時には、洪作は帰ろうとはしなかった」という八重はいうのです。

洪作は、八重が自分を迎えには来なかったと言います。そして自分は母親に捨てられたも同然だと思っています。八重はいきなり「香典帳は返してもらいますよ」と言い出す始末でした。

順調に進んでいた執筆作業を八重に完全に妨害されてしまい、洪作は苛立ちを隠すことはできません。そして煙草に火をつける洪作に対して、「あら、今の言い様、土蔵のばあちゃんにそっくり…」と八重の言葉。

そして洪作は結局、母親に言われるまま、香典帳を探し出していたのでした。そして探し出したのは、土蔵の婆ちゃんの香典帳が出てくるのでした。

物音の気配に三女の琴子は目を覚まします。そして自分が知らない家族の昔話に聞き耳を立てるのでした。伊豆の山奥、小さな土蔵の2階に暮らしていた彼女は、八重の祖父のお妾さんです。琴子は、曽祖父の愛妾だった女と、8年間も一緒に暮らしていたという事実を聞いて、「不潔」と顔を歪めるのでした。

舞台は昭和38年川奈ホテル

八重の誕生日に、川奈ホテルに一族が揃います。編集者をクビになった瀬川たちとゴルフをプレしている洪作です。ゴルフをする父洪作たちを娘たちは、ホテルのバルコニーから眺めています。

そして、その夜に、八重の誕生日を家族みんなで賑やかにお祝いするのでした。誕生日のお祝いは、常に笑い声が絶えない楽しい晩餐となりました。そして兄弟たちは家族の話を始めるのでした。

八重の記憶はどんどん消え去っていって記憶は小学生ぐらいになっています。そして八重はまだ古い香典帳を離すことができずに、ここのホテルにまで持参していました。そして八重は、毎日香典帳を見ては貸借関係がゼロになるように、計算しているようです。そして八重は「この辺でおじいちゃんのお勤めから放免してもらいましょ」と言い、明日のお墓詣りにも行きたくないと言い出すのでした。

八重は「毎日お弁当も作ったし、靴も磨いたしと、愛されもしたし、けなされもした」と夫だった隼人との夫婦関係。それは八重の中では完全に無いものへとなりつつありました。